なぜ旅行会社がコンフィチュールを作るの?!
1992年に(株)ビサン ゼセッション(Bisan Secession)という社名で、TB旅行業代理業・総合企画業・損保保険代理業の多岐にわたる業種を営む小さな会社をスタートしました。この会社は人材ネットワーク型のまちづくり事業も取り組み、1995年小社独自に「尾道ブランドづくり」を企画提案、その一環として、尾道市内の主に食品加工など異業種の企業各社にお声をかけ、通信販売「尾道がんぼう宅急便」を立ち上げました。当時はインターネット通信はいまだ普及しておらず、パンフレットの企画制作ではデザイン賞は射止めたものの、DMによる通信販売を軌道に乗せ、商品販売に大きな成果をあげることはできませんでした。
それから15年が経過した2010年に尾道の特産品「いちじく」に着目し、食品開発をめざして付加価値のある優れた食品を誕生させ、2011年8月に発売を開始した、食品添加物を使用しないコンフィチュール「おのみち朝捥ぎいちじく」です。
2024年4月、新たに旅行部門を独立させたJTB総合提携店(株)トラベルゼセッションを設立し、今年で誕生から15年目を迎えた「いちじくコンフィチュール」は、(株)ビサン ゼセッションで食品添加物を使用しない季節限定の果実加工品として、今も製造販売しています。
それから15年が経過した2010年に尾道の特産品「いちじく」に着目し、食品開発をめざして付加価値のある優れた食品を誕生させ、2011年8月に発売を開始した、食品添加物を使用しないコンフィチュール「おのみち朝捥ぎいちじく」です。
2024年4月、新たに旅行部門を独立させたJTB総合提携店(株)トラベルゼセッションを設立し、今年で誕生から15年目を迎えた「いちじくコンフィチュール」は、(株)ビサン ゼセッションで食品添加物を使用しない季節限定の果実加工品として、今も製造販売しています。
「尾道いちじくコンフィチュール」のレシピを開発した人
いちじくコンフィチュールのレシピを開発した人は、尾道生まれの石田誠治さん。神奈川大学の理学部応用化学科に進学し、大学2年頃に始めた自炊がきっかけで、料理の世界の扉を叩く事になる。23歳で大学を卒業後、小田急観光に就職し、当時の日本でフランス料理人草分けの一人土井市郎シェフの下で3年間みっちり修行した。そして、レストランチェーンCOQD'OR(コックドール)のセントラルキッチンでさらに料理研鑽を積み、休みになると各支店やデパートのレストランなど現場に出向いたという。

その後の12年間、フレンチレストラン、ビストロ、ホテルでのシェフを務め、外食レストランチェーン「サンデーサン」にヘッドハンティングされた。以来、20年間の永きにわたり、この会社で主にイタリアを中心にフランス、東南アジア、アメリカ西海岸やハワイなど味の探索に派遣され、商品開発を行ってきたという。その彼に尾道で出会い、尾道特産品いちじくを彼の知恵と技術を生かして誕生させたのが、無添加コンフィチュール「おのみち朝捥ぎいちじく」です。
その後の12年間、フレンチレストラン、ビストロ、ホテルでのシェフを務め、外食レストランチェーン「サンデーサン」にヘッドハンティングされた。以来、20年間の永きにわたり、この会社で主にイタリアを中心にフランス、東南アジア、アメリカ西海岸やハワイなど味の探索に派遣され、商品開発を行ってきたという。その彼に尾道で出会い、尾道特産品いちじくを彼の知恵と技術を生かして誕生させたのが、無添加コンフィチュール「おのみち朝捥ぎいちじく」です。
いちじくの生産者は?
ここで、私たちのコンフィチュール製造に欠かせない、蓬莱柿(ほうらいし)という種類のいちじくを生産している尾道市山波町(さんばちょう)という地域と、いちじく生産農家の一つをご紹介したい。
私たちが、2011年に始めたコンフチュール生産の立ち上げから、さまざまな方々にお世話になりながら、尾道特産のいちじくをご提供頂いてきたが、現在では森迫さんという生産者にお世話になっている。
森迫さんは、尾道市山波町の本谷(ほんだに)と呼ばれる地域にお住まいだ。この地域は文字通り谷間となっていて、江戸時代に水脈に沿って農家が建てられたのが山波村の始まりだという。いまでも本谷にある家には必ず井戸があり、今も豊かな水が湧いている。

この本谷地域を核として、周辺に発展し山波村(さんばむら)を形成したことは、現在の山波町内の同姓の家々のうち八つの姓の本家が、この本谷にあることからも裏付けられる。後に山波村は、江戸時代には福山藩の備後国沼隈郡に属し、明治に入り廃藩置県で広島県沼隈郡山波村となり、1939年(昭和14年)に尾道市と合併した。
写真は、お世話になっている2軒のいちじく生産者のうちの1軒の森迫力男、厚子ご夫妻だ。色々と本谷のことをお聞きしたが、森迫力男さんは、この地に根を下ろした森迫家の祖先は江戸時代に遡り、力男さんで14代目だとわかり我輩は驚いた。森迫家はお孫さんもおられ16代も続くとご満悦のご様子が写真からもう伺える。
ところで、この本谷のくねくね道の両側には立派な石垣が築かれた家屋が続くが、道幅がめっぽう狭く、軽四輪でも初心者になった気持ちで注意深くハンドル操作を行わなければ、石垣のKISSマークがついてしまう。もちろん車が出会したら、腕に自信のある方がよそのお宅に入る坂道に退避して離合する譲り合いの精神が必要だ。
そんな狭き道にゆっくりゆっくりと2トン車が入ってきたのを見たときは、我輩には信じられない光景でびっくりした。この道を軽四でそろりそろりと走り抜けた我輩が動画を撮影しているので、ちょびっとご覧に入れる予定である。
私たちが、2011年に始めたコンフチュール生産の立ち上げから、さまざまな方々にお世話になりながら、尾道特産のいちじくをご提供頂いてきたが、現在では森迫さんという生産者にお世話になっている。
森迫さんは、尾道市山波町の本谷(ほんだに)と呼ばれる地域にお住まいだ。この地域は文字通り谷間となっていて、江戸時代に水脈に沿って農家が建てられたのが山波村の始まりだという。いまでも本谷にある家には必ず井戸があり、今も豊かな水が湧いている。
この本谷地域を核として、周辺に発展し山波村(さんばむら)を形成したことは、現在の山波町内の同姓の家々のうち八つの姓の本家が、この本谷にあることからも裏付けられる。後に山波村は、江戸時代には福山藩の備後国沼隈郡に属し、明治に入り廃藩置県で広島県沼隈郡山波村となり、1939年(昭和14年)に尾道市と合併した。
写真は、お世話になっている2軒のいちじく生産者のうちの1軒の森迫力男、厚子ご夫妻だ。色々と本谷のことをお聞きしたが、森迫力男さんは、この地に根を下ろした森迫家の祖先は江戸時代に遡り、力男さんで14代目だとわかり我輩は驚いた。森迫家はお孫さんもおられ16代も続くとご満悦のご様子が写真からもう伺える。
ところで、この本谷のくねくね道の両側には立派な石垣が築かれた家屋が続くが、道幅がめっぽう狭く、軽四輪でも初心者になった気持ちで注意深くハンドル操作を行わなければ、石垣のKISSマークがついてしまう。もちろん車が出会したら、腕に自信のある方がよそのお宅に入る坂道に退避して離合する譲り合いの精神が必要だ。
そんな狭き道にゆっくりゆっくりと2トン車が入ってきたのを見たときは、我輩には信じられない光景でびっくりした。この道を軽四でそろりそろりと走り抜けた我輩が動画を撮影しているので、ちょびっとご覧に入れる予定である。
コンフィチュール「おのみち朝捥ぎいちじく」ってどんなもの?
まず、食材のいちじくが「朝捥ぎいちじく」と言われるはなぜか、それはいちじくを出荷されるこの時期には、農家の方が早朝3時、4時頃から起きて、いちじくの樹から果実を捥ぎとる作業をされるからです。その捥ぎ取られたいちじくの皮を一つ一つ丁寧に剥いで、初めてコンフィチュールに使えるいちじくとなるのです。
このコンフィチュールは、ジャムではなく、コンポートでもない。瓶を傾けるだけでいちじくの存在感のある果肉がド〜っと流れ出てきます。その味覚の特徴はといえば、おいしい甘さがお口いっぱいにパーツと広がったかと思うと、甘さがスーと切れ味よく消えて行きます。 甘みが尾を引くジャムとの違いがよくお判りいただけるでしょう。まさにその品質の良さは格別です。コンフィチュール「おのみち朝捥ぎいちじく」は、自然とともにある季節限定の食品添加物を使用していない食品です。

このコンフィチュールは、ジャムではなく、コンポートでもない。瓶を傾けるだけでいちじくの存在感のある果肉がド〜っと流れ出てきます。その味覚の特徴はといえば、おいしい甘さがお口いっぱいにパーツと広がったかと思うと、甘さがスーと切れ味よく消えて行きます。 甘みが尾を引くジャムとの違いがよくお判りいただけるでしょう。まさにその品質の良さは格別です。コンフィチュール「おのみち朝捥ぎいちじく」は、自然とともにある季節限定の食品添加物を使用していない食品です。
いちじくジャム作りが得意な尾道市民も、いちじくコンフィチュールの味に驚き!!
「尾道産のいちじくは甘くておいしい」とよく言われます。その尾道産のいちじくは、蓬莱柿(ほうらいし)という種類のイチジクで、唐柿(トウガキ)とも言っておりました。その蓬莱柿とも唐柿とも名付けられた由来は、中国を経由して江戸時代に日本に伝わった柿のようなものという、ところにあるのでしょうか。この種のいちじくの出荷量は尾道が日本一と言われています。
そんなわけで、尾道市民はご自慢のいちじくジャムを作られる方が大勢いらっしゃる。それだけに「いちじくコンフィチュールって何?」と尋ねられるので「ジャムのようなものですが....」と説明する、と即座に「私も作ってるから」と無関心顔。
そんな方々が、小社の『尾道いちじくコンフィチュール』を味わうと、異口同音に「このコンフィチュールの作り方(レシピ)を教えてくれないかなぁ?」。それに対して私はいつもこう答えています。「それは企業秘密です。」
私たちは、1995年に始めた小社独自の「尾道ブランドづくり」の一環として、2010年からすべてが手作り(手仕事)という、敢えて生産性の低いやり方で「おのみち朝捥ぎいちじくコンフィチュール」づくりに現在もなおチャレンジしています。
そんなわけで、尾道市民はご自慢のいちじくジャムを作られる方が大勢いらっしゃる。それだけに「いちじくコンフィチュールって何?」と尋ねられるので「ジャムのようなものですが....」と説明する、と即座に「私も作ってるから」と無関心顔。
そんな方々が、小社の『尾道いちじくコンフィチュール』を味わうと、異口同音に「このコンフィチュールの作り方(レシピ)を教えてくれないかなぁ?」。それに対して私はいつもこう答えています。「それは企業秘密です。」
私たちは、1995年に始めた小社独自の「尾道ブランドづくり」の一環として、2010年からすべてが手作り(手仕事)という、敢えて生産性の低いやり方で「おのみち朝捥ぎいちじくコンフィチュール」づくりに現在もなおチャレンジしています。
「いちじく(無花果)」はお天気まかせの期間限定の果実
いちじくを生かした自然派食品とジャズマン坂田明
今から15~6年前、突然、ジャズの世界で活躍されている坂田 明さんから吾輩の飼い主に電話があり、「ワシの義弟が尾道の海岸で『ばるGocci』という店を出したらしい」「そこで会おう!」ということになりました。この店のオーナーシェフ石田誠二さんとの出会いが「いちじくコンフィチュール」の誕生となったのです。
尾道生まれの石田誠二さんは、1970年代から料理の世界に入り、フランス料理とイタリア料理を当時の日本で著名な二人のシェフに師事し、その後東京で数十年間活躍されました。その彼が、ご両親を看るために尾道にUターンされ出店(完全予約制)、坂田 明さんのご縁により、吾輩の飼い主は運良く彼と出会ったというところです。
この出会いで生まれた、石田誠二さん考案のレシピによる『いちじくコンフィチュール』は2014年生まれで、尾道の特産品である「いちじく」の本来のおいしさを最大限に引き出した自然派食品となっています。

尾道生まれの石田誠二さんは、1970年代から料理の世界に入り、フランス料理とイタリア料理を当時の日本で著名な二人のシェフに師事し、その後東京で数十年間活躍されました。その彼が、ご両親を看るために尾道にUターンされ出店(完全予約制)、坂田 明さんのご縁により、吾輩の飼い主は運良く彼と出会ったというところです。
この出会いで生まれた、石田誠二さん考案のレシピによる『いちじくコンフィチュール』は2014年生まれで、尾道の特産品である「いちじく」の本来のおいしさを最大限に引き出した自然派食品となっています。